Unit of Human Biology and Genetics, Department of Biological Sciences, School of Science, University of Tokyo

東京大学大学院 理学系研究科 生物科学専攻 / 広域科学大講座:人類進化システム学 /
人類科学大講座:人類生物学・遺伝学研究室

東京大学大学院
            理学系研究科 生物科学専攻
            広域科学大講座:人類進化システム学
            人類科学大講座:人類生物学・遺伝学研究室

研究室の歴史:2001 - 2005年度

2001年度

相変わらず新入生はいません。清水裕子が学振の特別研究員になりました(中華料理ごちそうさまでした。でも、カードの限度額忘れないでね)。ヒトをひかえて、久しぶりにサルを捕まえにタイに行きました(13年ぶり)。ところが、サルもさる者、アカゲは捕まらずカニクイザルくらいしかもう相手に出来ないかと思うとショックでした。日本学術振興会拠点大学交流事業でモイとダナイが来ました。日本学術振興会論博事業でスパープが来はじめました。4年生の鴻知佳子が卒研をしました(ちなみに、有馬史子の卒研ダミー教官をしました)。我が研究室1期生の清水裕子が学位を授与されました。

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2002年度

久しぶりに、修士に1人(西澤大輔)入ってきました。何をやりたいのでしょう?ナンダの学位(というより学業)が難航し、自他共々大変な毎日でした。そのナンダも、11月に帰国し、一見平穏な日々が戻ってきました。亮介はトンガでのうのうとした日々を送ってきました。学位取得のため、10月からモイが研究生となりました。拠点大学事業では、留学してきたモイの代わりにチンタナが来ました。倫理問題があるのでなかなか調査が思うように進みません。とりあえずは、タイのシージプシーを視野に入れ、何故か、打ち止めのはずのスンバへ添乗員として行ってしまいました(しかし、この旅は後々有意義?なものとなりました)。

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2003年度

修士に一人(小林舞子)入ってきました。何をやるのか、見物です。モイが博士課程に入学しました。人類卒の沓掛展之が学位をとって、駒場から出戻ってきました。中山一大が学振の特別研究員(DC2)に採用されました。この年から、色々と雑用が増えてラボを空けることが多くなり、皆、嬉しそうです。医学系・人類生態の清水華が出入りを始めました。タイに医科研の先生を連れていったのですが、なかなかどうして・・・夏には、スンバへ直前査察(スンバへやっとジェット機が就航というのに乗せられたところ、危うく離陸事故。そのような場合、映画にあるような「わー、きゃー」と言った声は聞かれず、皆黙ったままシーンとしていました)、9月の本番には木村(正)、高雄、小林が行きました。パスポート初めての小林、挙動不審がうけていました。来年度の修士の入試がおこなわれ、加島妙子・山本ラインの二人が内定しました。拠点大学交流事業は今年もチンタナです。秋からは、D論地獄が始まりました。ま、とりあえず、木村亮介・中山一大・西岡朋生と3月で修了です。その間をぬって、熊本チンパ詣でが始まりました。ダナイは3月に審査を終え、年度が変わって学位授与のはこびです。課程博士ぎりぎりのところで木村正子が学位請求論文を3月31日に提出しました。まだまだD論地獄は続きます。4月からは、清水裕子は学振海外特別研究員としてフランスへ、木村亮介も学振特別研究員として医学系研究科へ、それぞれ離脱していきます。めでたし、めでたし。

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2004年度

めでたく卒業した、加島・山本の2人は修士に進学してきました。EBとリンパ腫・チンパのストレスがそれぞれテーマです。中山一大は学振特別研究員PDとして、西岡朋生はCOEポスドクとして、居残りです。沓掛展之はケンブリッジへいきました。西澤大輔は博士に進学し、精神研へ出向きます。駒場の寿一さんのところのランシーが出入りを始めました。以前、杏林大学の卒研生のお世話をしていたときの木田川さん(今では、立派なOL?です)が顔を出すようになりました。5月に念願のチャウレー調査ができました。夏の院試では、「男が欲しいー」(問題発言か?)と言っていたのですが、女性2名(二ノ方文・服部記子)が内定です。9月は、ラインとソロモン諸島でした。拠点大学事業は元に戻ってスパポンです。今年は、関係者の訃報が続きます。7月にスリン、8月に寶来さん・外村先生・上原さん、10月に尚さん・埴原さん。さらに、3月竹中さん・・・この中で、寶来さんと竹中さんは西田さんの最終講義の後、京都でタクシー三人で相乗りした仲だし(残るは僕です)、もっと色々言いたいことがあったのですが、追いかけることも出来ず・・・合掌。3月は高雄の学籍問題が起きましたが、「研究生に」となりました(お役人のやることは、結果的には遺漏がないと感心)。木村正子ようやく学位授与されました。3月末には、小林が修士を終えて「科捜研の女」になります。これは、めでたし。もうひとつ、めでたいであろう話に、過去帳のメンバーの森が2月に結婚しました。

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2005年度

二ノ方・服部が進学してきました。さて、この人達はこれからどうなるんでしょう・・・沓掛が英国より戻り、理研へ出向きます。COE「心とことば」には西岡のみならず中山一大もお世話になることに・・・済みません。過去帳の青が結婚へ行き着きました。と言っているうちに時が経ち、服部が離脱の決心を伝えてきました。8月からセレブを目指し住所だけはパリジェンヌです。その間に、中山一大が7月の霊長類学会でベストプレゼンテーション賞を頂きました。時を同じくして配属実習の2人が大学院を希望してきました。昨年から導入した「配属実習」良いのか悪いのか、そのまま院へと言うパタンが定着するのでしょうか?それだと、こちらも実習生を吟味しないといけないかもしれません。昨年より手を染めてしまった「ゾーロジー」がらみで、文学部の入江尚子が顔を見せ始め、小職は添乗員としてタイを案内するはめに(?)なりました。それにしても、タイでは人脈が大切です。象もテナガも芋蔓式にカウンターパートが見つかるとは思いませんでした(ダナイ様々です)。沓掛が理研のポスドクに内定しました。8月末の院試では、4人が志望し(しかも男2人も)、皆それなりに優秀そうで困っていたのですが、結局、男含む2名(関加奈子・松平一成)内定に落ち着きました。季節は移ろい、秋にはスパープが最後の論博の年で来ました。科研費申請地獄のさなか、筑波の環境研のワークショップに参加することになりました。ユニークな方々とお知り合いになれました。年が明けると、ガ-ンの学振論博プログラムがスタートしましたが、なかなか大変そうです。中山が自治医の法医に決まりました。半分残念、半分おめでとうです。それに対抗してか、西岡が久留米大の法医に。こう立て続けに法医に就職が決まると、複雑な心境です(大学院で何してたんだろうとか)。二人とも、頑張って早く法医を脱出して下さい(そうしたら、後輩にポストが・・・なんてことは考えていません)。とにかく、就職はおめでとう。そのころ、スパポンが来ました。そして、スパープ。PSUトリオが、カルテットに。スパ-プの学位審査がやっと終わりました(でも、書き直しが大変)。加島・ラインが修士を終えました、おめでとう。ラインは、農水のお役人様です(小役人にならないでね)。加島は、進学です(しっかりね)。昨年に引き続き、おめでたい話:過去帳のメンバーの木村正子が3月に結婚しました。良い披露宴でしたが、祝辞、誉めすぎてごめんなさい。それにしても、お父さん似でした。それと、有馬が結婚したとの情報が鴻からもたらされました。おめでとう。その鴻は大阪です。

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