Unit of Human Biology and Genetics, Department of Biological Sciences, School of Science, University of Tokyo

東京大学大学院 理学系研究科 生物科学専攻 / 広域科学大講座:人類進化システム学 /
人類科学大講座:人類生物学・遺伝学研究室

東京大学大学院
            理学系研究科 生物科学専攻
            広域科学大講座:人類進化システム学
            人類科学大講座:人類生物学・遺伝学研究室

研究室の歴史:2006 - 2010年度

2006年度

関と松平が修士に進学してきました。SFVとテナガがテーマです。そして、加島が博士に進学しました。ラボの人数が減りました。といっても、たかだか4人の減少です。なのに、ラボで実験している人は激減しています。なんででしょう・・・長年の懸案だったリストラに歯止めがきかなくなったのか・・・そうこうしているうちに、10月、モイが学位を取って帰国し、1名減。加島も、国際医療センターにトラップされてしまい、実質1名減。でも、理学部の聴講生になった陳さんのホストになり、1名増加。4年生の石井君が卒研をしに1名増加。二ノ文が学振特別研究員DC1に内定したものの修士で就職へ進路変更。人が減ったので、今年は学会出席を増やし、出歩くことにしました(遊んでいるわけではありません)。7月の大阪霊長類学会の後は、福岡の動物園へ足をのばし森(旧姓です)の顔も見てきました。8月は、タイ経由で(かずぴんフィールドデビュー)行った、ブリスベーンの国際人類遺伝学会では(町はずれのモーテルまで歩くのは疲れましたね二ノ文)、懐かしくもCMCのチャンディーと再会(それほど懐かしくないタラセミアのスーターットも)。PGHのマルさんにも再会(これは懐かしい)。東海大の大澤先生にお目にかかり・・・亮介がお世話になることに。9月は加島に連れられプラハ他に(スケジュール献立ありがとう)。HPVのマーケットがこんなに大きいとは思っても見ませんでした。10月はバンコクの動物病理学会で、関かなオーラルデビューです(子供と間違えられてました)。Dusitでお世話になったヴィシットに再会(10年ぶり)。ビルマ行きの工作もできました。11月は3年ぶりのスンバです。あのロンダリマに塀と門ができた上、アタスへの道が舗装され・・・隔世の感が。今回学習したことは、熱帯ではレンタサイクルは気をつけよう(ペダルが片方はずれた自転車は、まさに「ケッタマシーン」でした)。12月はマヒドンでの公衆衛生学会に狩り(?)出されたあと、国内のホントの狩りに参加です。毎週末、同行の院生共々、長野の山ノ内猟友会(竹節会長)にお世話になりました。目標は、「日本固有哺乳類の細胞バンク」です。クマ、カモシカ、イノシシ、タヌキ、シカ、サル、キツネ・・・が、その前に、先ずお肉の味見です。年明け早々に高雄が学位請求論文を提出。3月の学位伝達式に臨みました。長い間よく頑張りました、おめでとう。おめでとうで思い出しました。青に子どもが生まれたようで、おめでとう(名前が難しい漢字で、後で子どもにうらまれるよ)。入江、結婚おめでとう。小林、入籍おめでとう。まーちゃん、男の子おめでとう(当たりでしたね)。華ちゃん、披露宴おめでとう(まだだけど)。亮介、入籍と就職おめでとう。と、頭までおめでたくなりそうなのでこの辺で、次年度へ。

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2007年度

新入生はいません。少数精鋭を掲げリストラを敢行してきたはずなのですが、只の少数になってしまったのでしょうか?精鋭目指して頑張ってください。景気づけにおめでたい話から。年度始めの4月、華ちゃん結婚、披露宴だけかと思っていました。ウーベ共々おめでとう。続いて、マーちゃん出産(やっぱり男だったね)。6月、小林の披露宴。良いお式でした(特に、BGMのシルヴィー・バルタンが)。7月の彦根の霊長類学会では、OBの中山君が論文賞を、OBの沓掛君がベストサイテーション賞をいただきました。おめでとう。今年も、出歩くことにしていましたので、とっつきに奄美大島のヨザルに突撃です。奄美の空港に植物検疫があるのには感動しました。続いて四国・草津と何故か温泉地がのんびり続くはずだったところへ、クロアチアの第5回ISABSへエントリーしていた加島に若手奨励賞が決まり、急遽本気で発表することになり大忙しでした。でも、発表は落ち着いていて(そう見えた)立派でした。さすがTOEIC上位者?と感心。それにしても、みんなよく賞を頂きます(罰はもらっても賞はもらったことがないので、ちょっと羨望感が)。そんな間に、カズピンはカナダの国際動物行動学会、関加奈は台北の動物病理学会へ出かけていきます。また、大学院修士の入試が済み、エントリー5名(中2名欠席)のなかで、石原・北村が合格し、10月から卒研です。そして、大輔はめでたく9月修了の博士です。短かった滞在の陳さんは、台湾へ帰国の運びとなります。そして、待ちに待った禁猟解禁が迫ります。その前祝いというか、10月の猿山実習の間に捕れた熊が到着しました。今年の猿山実習は、永年お世話になった、「たちばな館」が閉じてしまったため、沓野の「くつの館」にお世話になりました。偶然というか、「玉村酒造」のはす向かいで、「熱燗が冷めない距離」にあります。秋になると、南から人が来ます。先ず、タイのガーンは論博です、11月頭にウィンユーがシンポジウムに(怖れていたほどのことはありませんでした)、そして、南ではありませんが、ロスコーがフィレンッエから。ロスコーと前後して、ダナイが短期滞在です。ダナイのお蔭で知り合いも増えます。医・病理の日野先生、アトーの山田社長さん。ダナイを連れて行った放医研では、何年ぶりでしょう、吉田さん・・・いいことです。師走を前に、カズピン・入江と関西動物園巡りに、これも成果大。師走は、ホントに師走でした。月初めは、サラヤでJSPS-NRCTミーティングが(ダナイ・華ちゃん・ワナッパ)、中旬はバンコクで癌学会(福島先生もお久しぶりでした・ダナイ・加島・モイ・リン・高山さん・ヴィラポン等々)、下旬はPSUへ(カオシュン)行っていると年が明けました。1月はスンバへ、カオシュン・加島・北村のKKKトリオです。それら国外退去をぬって、猟友会詣でです。今年の猟は、ヤギ・ブタ・バンビ・サル・ハクビシンでした。修論審査や奨学金審査で忙しいはずの2月に、カズピンに連れられてミャンマーへ行きました。期待以上の満足度でした。3月には、モイが来日、会津へ研究室旅行です。そして、年度末、二ノ方・松平が修士を修了、メナード・博士へと進んでいきます。おめでとう。

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2008年度

4年生の2人が修士へ進学です。おついたちに花見を強行しました。日が陰ると寒いお花見でしたが、新4年生や、館内2次会の華・ウーベペアも来てくれてよかったです。そうそう、お母さんのまーちゃんも顔をだしました(それにしても、なんで「けんた」なんて名を付けたのでしょう・・・)。
年度が変わると、学年もかわります。4年生の配属実習に4人来ました。1学年6人しかいないのに、なんともめxxxなことです。これは超過勤務です。とは言うものの、(上手下手はさておき)みな良く実験しています。ここは、基本的に放任です。なぜならば、先史時代からの掟ですから。学部の学生には通常のそして配属実習を通じ、自分の適性を見極めてもらいたいと思います。学部の皆さんは、少なくともある面では優秀であろうから、むやみに研究指向の大学院に進学したりして自分を粗末にしないように。なにしろ、研究に向く人は少数ですから。おっと、誤解して欲しくないのは、研究者が優れているとか言いたいのではありません。単に、向き不向き・適性の問題で、自分にあった骨の埋め方を見つけて欲しいと思っています。「そう言う意味」では、今年の4年生の4名はかしこいと言えましょう。
平穏な夏学期が過ぎ、9月。ここら辺からイチャモンがつき始めます。先ずは、9月上旬の拠点大学交流事業でのタイ行き。民主化?運動により、国内線空港封鎖。空路1時間半のところを12時間かけてバス移動(途中で、空港封鎖解除・・・乗るはずだった機体がバス上空を通過・・・)。そして、9月下旬。トランジットの、BA(名誉のために都市名を伏せてあげますが、「空気がきれいな」という所です)でとうとう掏摸?に。その手口、とても上手でした・・・完敗。
10月、後期に入ります。4年生4名が卒業実験を、さらに、インドネシアからメキシーが・・・いやいや、その前に8月からガーンが。そして、11月にはモイが・・・その間にサル山実習。なかなかの3年生でした。11月下旬、何も考えずにタイへ、またもや空港封鎖。今度は国内・国際、両方でした。空港には食べ物が無く、代わりに足止めをくう・・・と言う洒落が通じませんでした。それにしても、良い経験をさせてもらいました。笑ってはいけないけど、笑ってしまうのが、タイでは「ごはん」が大切だと言うことでした。空港座り込み中に、外部との行き来を絶たれ一気に緊張感が増したとき、支持派放送局は「メイミーカーオ(ご飯がなーい)」と哀愁を込めて何度も繰り返していました。また、臨時便搭乗の手続きに航空会社本社に行くと、チケットはさておき、食べ物の心配を最優先に。帰国したときには、師走に突入していました。そうです、狩りのシーズン到来です。恒例(?)になった永田先生ご夫妻来日。カオシュン、念願かなって4月からアメリカン内定。そのNIH内定のニュースは、名古屋で森・西岡・ニノ方との同窓(?)忘年会の晩に到着。おめでとう。
モイ(リンも)や3年生のサッコも参加した、楽しい(?)狩りも終わり、味気ない9ヶ月が始まります。狩猟期間と並行して放映されていた「赤い糸」はさておき、年末年始のタイ行き、拠点事業セミナーでのウィンユー来日とお返しのタイ行き(カズピン:カオヤイデビュー)、修論審査と行事が続きます。なりゆき(?)で、地獄谷野猿公苑のサル委員になってしまい、これもまた成り行きで同級だった金子氏を引き込んでしまいました。花に彩られた関かな修了式、松島とツーショットの(幼稚園後輩のお父さん会えませんでしたね)卒業式も終わり、年度末に突入。3月28日、年度最後のセミナー後に、年度2度目のお花見です。マーちゃん夫妻(これだと、マーちゃんが夫みたいなので、妻夫ですか?)、ニッシ―、中山君、ライン参上。そして、3月31日、カオシュン→USA・関かな→文科省・4年生は巣立ち、小職はイタリア霊長類学会へ発ちました。

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2009年

留守の間に年度が変わります。イタリア霊長類学会は、1会場のみの、こぢんまりした大会でしたが、参加者への配り物は、つまらないバッグなんか無い代わりにフルボトルの赤ワイン、という素晴らしい学会でした。もちろん、発表も、イタリア語なので解りませんでしたが、素晴らしい内容でしたのでしょう。3日間、会場で一睡もしないという初めての経験をさせてもらいました。次回は、「ロミオとジュリエット」のヴェローナです。
静けさを取り戻したラボへは寒河江が進学です。今年の配属実習は平穏で、2名。まず、桃ちゃんからです。と言っている間もなく、6月になり、はっしーの実習が始まりです。また、小野英理が特任研究員として登録、これからが見物です。
夏の暑い中、霊研の樹理さんと松田とソウルの野生動物医学会へ。機内で行きも帰りも未成年と思われた松田に乾杯です。その直後に大学院修士課程入学試験がありました。当研究室を志望したのは1名でした。合格していたのですが、連絡ありません。きっと他所に行ったのでしょう。
9月に入ります。富山の野生動物医学会に軽い乗りで参加、と思ったら「会員限定」とのこと・・・強制自主入会することになりました。今年、学振論博事業の最終年度になるPSUのガーン、予備審・ヒアリングとハードルが待っています。残念でした、やはり指導がなってないのでしょう。皆さんも気をつけましょう。と落胆していたら、タイからモイが来ました。なんと、加島の結婚披露宴に出席です。そんなにもタイでは暇なのでしょうか???そんなことより「加島おめでとう〜」です。ホントに良かった。いい女が売れ残る「負け犬の遠吠え」(で良かったのでしょうか?)現象を心底怖れている今日この頃なのです。(と言って、「売れた」?から「いい女」ではないというのではありません)。
それにしても、カズピンの調査申請には次々とトラップが・・・とうとうカセサートへ出頭し尋問(?)されることになりました。異文化ギャップ・偏見はバンコク共通の現象なのでしょう。2009年も終わり、仕方がないのでジョーカーをきることに・・・これで、どうにかなるでしょう。
その年が変わる前に、狩りのシーズンが来ました。皆勤賞を目指します。その初回は、JanetもDavidも湯田中まで同行です。今期は、カズピン、医学修士に行った松田君、4年のサッコ、事務の大崎さん・辻下さん、毎月参加の寒河江が参加しました。今年で4年、カモシカ検体数が50を越えました。みなさん、有り難うございます。狩りの間をぬって修論提出・発表・審査と続きます。3月末には、お花見を強行し、めでたく修士を終えた石原が群馬県警に、同北村が三菱商事に、それぞれ巣立っていきます。それから、朗報(?)が1つ。日経大阪の鴻が4月に帰京(京都ではありません、東京です)。

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2010年度

今年度修士進学はいないと思っていたのですが、連絡がなかった田宝玄人、実は入試合格後に連絡することを知らなかったそうで、入学してきました。と思ったら、直ぐにソロモンへ・・・何をしに行ったのでしょう、楽しみです。特任研究員として青春を謳歌していた小野英理が、博士課程に入学・・・サルのお尻の研究です。替わって3月で単位取得退学の加島が特任研究員に。部屋の模様替えをしたりして、皆さん研究に専念できるはずです。期待しています。

・・と4月にアップデートしたつもりが、し忘れており、なんと1年半経ってしまいました。済みません。想い起こして続きを・・・

カモシカの祟りでしょうか、右膝が痛くなり、階段の上り下りが辛くなってしまいました。整形外科に行くと、「長生きし過ぎなんだよ」と言われてしまい、待合室のシートに座っていたら、八十歳のおじいちゃんに席を譲らないわけには・・・しかし、その人は患者じゃなく百歳のお母さんの付き添いでした。

念願叶い、カズピンがカオヤイへ糞採集に行きました。それにしても、この研究室は排泄物のなんと豊富なことでしょう。振り返れば、アッコちゃんの精液、カオシュンの唾液、師匠のおしっこ、華ちゃんの爪、亮介の髪の毛と・・・考えてみたら、僕も卒研の頃から、精液・毛・乳とか集めていましたので文句は言えません。ただ、停電になったときのフリーザーからの臭気が怖い。

夏が終わり秋が来ると、お馴染みになった野生動物医学会に寒河江がデビュー。昨年の人類学会デビューよりこちらは弩緊張、が、思いの外したたかな発表で、更に緊張。その勢いで20年ぶりの京都の国際霊長類学会へ、漬け物で一杯が何とも言えず、二杯三杯へと。会場では、バンバン、ヤトナと言った懐かしい顔を見つけ、ルカ、バルバラと旧交を温め京都案内をするも、雨を呼ぶ男で、イタリアからのお客さんごめんなさい。

2号館に昇降機が設置されるという怪挙があり、9月から居室の隣で騒音が・・・11月に入ると音が2度聞こえるようになってしまい、保健センターを経て東大病院へ。難聴外来へ行ってきました。笑ってはいけませんが、さすが東大病院?診察室前の待合室までは、バイブ式のカードで誘導されますが、最後の診察室への呼び出しは、スピーカーから早口で・・・誰も立たないか、石田さんも、吉田さんも、芦田さんも・・・皆が一斉に起立。

久しぶりにボゴールへ。インドネシアは落ち着きます。残念なことに、火山の噴火で中部ジャワへ行けなくなりました。

全く、このところ色々むかつくことが多くて困ります。これもあれも「政治手動」の所為でしょうか。来年度の特別研究員、漏れた者には確定結果が知らされるも、内定者には「内定かも」メールが知らされるのみ。宿も予約を入れ、装備も揃え、いざ狩りへと意気込んだら「捕獲許可が下りず」で足止めに。

めでたく年が明けました。仕事始めかと思いきや、加島ご懐妊のニュース。全くおめでたいことで慶賀にたえません。そして、これまためでたくカモシカ捕殺認可で、小野・田宝デビュー。酒の飲めない「栃木の兄ちゃん」活躍しました。カモシカ駆除も25頭の大台達成で心身共にやる気が漲ぎり、いざロリスプロジェクトスタートと言っていたところに地震が、津波が、セシウムが、政権が、無策が襲い年度末になります。人の出入りはほぼ無しです。