第1324回生物科学セミナー

クライオ電顕による細胞構造生理学研究

藤吉 好則(東京医科歯科大学 高等研究院卓越研究部門細胞構造生理学研究室 特別栄誉教授)

2020年03月02日(月)    16:00-17:00  理学部1号館東棟 380号室   

【研究目的】
脳の機能を化学の文脈で理解したいという素朴な思いから、厚さが50Å程度の膜に内在するタンパク質の構造研究が必要と考えた。膜タンパク質の構造を解くには、X線より桁違いに大きな原子散乱因子を有する電子線が適していると考えて、電子顕微鏡を学んだ。膜タンパク質は重要な創薬標的でもあるため、2000年からStructure-Guided Drug Developmentと呼ぶ創薬戦略のための基盤技術開発も並行して進めている。
【研究経過及び考察】
電子線結晶学のパイオニアはHendersonとUnwinで、1975年に膜タンパク質としては初めてバクテリオロドプシン(bR)の構造を7Å分解能で解析した。生物試料は電子線損傷が激しく、高分解能の解析は困難であった。試行錯誤の末、8K以下に冷却すれば、試料の損傷を室温の20分の1以下にできるという結果を得たので、1983年から、液体ヘリウムで試料を冷却するクライオ電子顕微鏡の開発を始めて、1986年に第1世代のクライオ電子顕微鏡を完成させた。以後、現在開発中の第8世代まで、改良を重ねて性能を向上させてきた。1997年には、パイオニアをまねてbRの構造を3Å分解能で解くことに成功した。
独自に開発したクライオ電子顕微鏡を活用して、水チャネル、アクアポリン(AQP)の構造を解析した。AQPはバクテリアからヒトまでほとんどの生物で機能しており、ヒトでは13種類が体内の各所に発現している。例えば、AQP1は1秒間に30億個もの水分子を通しながら、プロトン(H+)を透過させない。水チャネルがプロトンを通すとpH条件が狂い、細胞は正しく機能できなくなる。しかし、水分子は水素結合でつながっているので、プロトンはその水素結合を介してチャネルを通り抜けてしまう。2000年にAQP1の構造を解析し、その構造に基づいて、速い水透過と高い水選択性の機構を解明して発表した。2009年には、AQP4のチャネル内の8個の水分子を分離して観察することに成功してこの機構を確認した。
クライオ電子顕微鏡とCMOSでダイレクトに電子線を検出できる高性能カメラを用いて、Chengらが2013年にTRPの構造解析に成功したことを嚆矢として、単粒子解析法が爆発的に用いられるようになった。2017年には、3人のこの分野のパイオニアにノーベル化学賞が授与された。構造を解くためのクライオ電子顕微鏡法には、電子線結晶学、単粒子解析、電子線トモグラフィーの3種類があるが、電子線結晶学では構造が解析できなかった、電気シナプスの中心をなす無脊椎のギャップ結合の構造を、単粒子解析法を用いることで短期間に解析できた。
「標的タンパク質を同定し、それに結合する化合物をスクリーニングする」という“evidence-based drug development”が、2000年ころから創薬の主流となった。しかし、スクリーニングで有望な化合物が見つかっても、前臨床試験、臨床試験で副作用などのために薬とはできないことが多く、成功確率は3万分の1程度にとどまっている。薬になり得なかった化合物と標的タンパク質の複合体の構造を解くことで、捨て去られた創薬標的を救いだす“drug rescuing”という創薬戦略をbusiness ventureを立ち上げて進めている。drug rescuingは、単粒子解析によって構造解析がスピードアップしたからこそ可能になった戦略である。