第1134回生物科学セミナー

表現型可塑性の生理発生機構とその進化:社会性昆虫から海産動物へ

三浦 徹 教授(東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所)

2017年06月14日(水)    16:50-18:35  理学部2号館 講堂   

 地球上のすべての生物は環境との相互作用の中で生活を営んでおり,環境条件によって多少なりとも表現型の形質がが可塑的に変化しうる.この性質は「表現型可塑性 phenotypic plasticity」として知られるが,なかでも環境条件に応じて不連続的に表現型を切り替える「表現型多型 polyphenism」が昆虫類で多く知られている.私はこれまで,社会相互作用などによるシロアリのカースト分化や,アブラムシの翅多型・繁殖多型,クワガタムシなどに見られる栄養多型,ミジンコやサンショウウオに見られる防御多型などの発生分化機構について研究してきた.これらの例では,昆虫類が共通して持つ生理発生機構,とくに脱皮変態のメカニズムを応用して,発生過程を条件依存的に分化させているようである.
 シロアリでは,適切な比率で生じたカースト間での分業を元に社会性が成立している.そのためには個体間相互作用により後胚発生での分化運命が決定され,各カーストへの分化を制御する発生生理機構が存在するはずである.私はこれまでに,カースト特異的に発現する遺伝子の同定や形態形成に関与する遺伝子の発現動態など様々な調節機構を明らかにしてきた.また,分化過程における幼若ホルモン濃度の変動パターンがカースト運命を決定することや,インスリン受容体の部位特異的な発現がカースト特異的な形態形成を誘導することも明らかとなった.このような表現型可塑性の調節は,社会性昆虫のみならず様々な生物に見られ,進化学的にも重要な意味を持つ.アブラムシやミジンコ,クワガタムシなどでの表現型多型の例でも共通して,昆虫類が持つ脱皮変態の生理発生機構を応用し,発生過程を条件依存的に分化させているようである.
 このような表現型可塑性の研究は,「生態発生学(Eco-Devo)」として近年注目されつつある.上記のように昆虫類での研究例は比較的多いが,海産動物では多くはなされていない.その一方で海の生態系,特に沿岸部では環境変動が大きく,多くの生物種が環境に応じた表現型可塑性を示すことが考えられる.今後臨海実験所で取り組むべき課題,とくに多毛類シリス科が見せる多様な繁殖様式にも触れ,今後の研究展開も展望したい.

参考文献
三浦徹(2016)表現型可塑性の生物学:生態発生学入門.日本評論社.
東正剛・辻和希(2011)社会性昆虫の進化生物学.海游舎.