東京大学大学院 理学系研究科 生物科学専攻 植物生態学研究室 PD 渡辺 千尋
これまでの研究
植物ミトコンドリアの呼吸鎖に存在するAlternative oxidase
(AOX)についての研究について
AOXはユビキノンから複合体Vへ電子を伝達する際、プロトンの輸送を伴わない。よって、ATP産生には共役しないと考えられるが、ストレス時など還元力が過剰になる場合にこれらを効率よく散逸するために機能していると提案されている。私は、低温と低窒素ストレス下でのAOXの役割を調べるため、シロイヌナズナの野生株(WT)とAOX欠損株(aox1a)を用いて研究を行った。
図:植物ミトコンドリア呼吸鎖
I- V:complex
I- V
NDex:ND located at outer
surface
低温ストレス下におけるAOXの役割
WTおよびaox1a植物体を5日間4℃下で栽培し、生理的な特性の経時変化を比較した。低温処理により、WTの葉の全呼吸速度およびシアン耐性呼吸速度が増加し、AOX1a発現が誘導された。aox1aでは、全呼吸速度の増加がWTより著しかったが、他のAOX遺伝子の誘導は起きなかった。一方、AOX以外の脱共役経路の遺伝子NDA1
(図;NDin)、NDB2
(NDex)、UCP1発現は、WTよりもaox1aで著しかった。また、いくつかの抗酸化系遺伝子は、WTで発現誘導が見られないときでも、aox1aでは誘導された。これらの結果より、低温下でのAOX欠損が他の脱共役経路や抗酸化系を誘導し、これらがAOX経路の役割を補ったと考えられる。言いかえれば、低温下でAOX経路は呼吸速度の上昇や抗酸化といった複数の機能を担っている。また、aox1a葉では、低温下でデンプン量やC/N比がWTより増大した。呼吸鎖の複合体Tの欠損が細胞内のNADHレベルだけでなく、炭素・窒素代謝全体へ影響を及ぼすことが報告されている。本研究でもAOXの欠損がNADHレベルを変化させ、炭素・窒素代謝のバランス変化を通じて、C/N比の増大につながった可能性が考えられる。細胞内のNADHレベルに影響を及ぼすNDB2の発現がaox1aで増大したことは、この可能性を支持すると考えられる。よって、低温ストレス下では、AOXは素早く誘導され、呼吸鎖の過還元状態を回避するための抗酸化系として働くと考えられる(Watanabe et al. 2008 PCE)。
低窒素栄養ストレス下におけるAOXの役割
WTおよびaox1a植物体を高N培地から低N培地へ移植後、7日間栽培し、呼吸速度や遺伝子発現の解析、さらに一次代謝産物の定量を行った。低N処理により、WTのシアン耐性呼吸速度が増加し、AOX1a発現が誘導された。一方、低温処理で見られたaox1aにおける脱共役経路や抗酸化系の誘導、炭水化物の蓄積は見られなかった。低N条件下、aox1aの地上部では、WTと比べていくつかの一次代謝産物の応答が変化していた。しかしながら、呼吸速度や成長、C/N比についてはWTとaox1a間で差はなかった。これらの結果より、低N処理はAOXを著しく誘導するが、本実験の条件ではAOX経路が有効に働く過還元状態にはならず、誘導されたAOXが十分に機能していない状態であったと考えられる。低N下でのAOX誘導は、自然環境での複合ストレスに対応するための“保険”ではないかと考えている。野外環境では、植物は低Nストレス下にある場合が多く、さらに、強光や低温などに曝される変動環境にある。このような状況では、AOXが効率よく還元力を散逸することで、植物の環境応答に有利に働くことが考えられる(Watanabe et al. 2010 PCP)。