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出芽酵母のストレス分子生理学

上園 幸史

 出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeは古くから醗酵産業で利用されているだけでなく、真核生物の多くの特徴を備えているため、学問的にも真核生物のモデル系として様々な分野で数多くの知見を提供しています。特に酵母は単細胞生物であるため厳しい環境変化に常に曝され、それに耐えるためいくつもの適応システムを有しています。これまで出芽酵母の環境ストレス応答は転写レベルで数多くの研究が行われ、真核生物に共通するストレス応答機構の理解へ多大な貢献をしていますが、我々は研究当初あまり理解が進んでいなかった翻訳や細胞骨格の制御に着目して環境ストレス応答機構を解析しています。また環境ストレスと類似作用を引き起こす麻酔薬や抗精神病薬などの臨床薬剤の作用機構についても調べています。
 

1.環境ストレスによる細胞内反応の一過的な阻害機構

 出芽酵母の翻訳装置やアクチン骨格の基本的な構成遺伝子はヒトまで高度に保存されていますが、環境ストレスの中でも高浸透圧やグルコース飢餓は、この翻訳開始とアクチン極性を急速且つ一過的に阻害(破壊)します(図1)。我々の解析から、この一過的な阻害反応は、阻害と適応の二つの経路で構成され、適応経路にはそれぞれのストレスに応じて既存の転写制御系が関与していることがわかりました(図2)。この一過的な阻害現象は空間的に配置された遺伝子発現パターンを新たな環境に適応したパターンに効率よく再編成するための“リストラ”のシステムと考えています。




参考文献
1) J. Biol. Chem., 277: 13848-13855 (2002).
2) Mol. Biol. Cell, 15: 1544-1556 (2004).
 

2.局所麻酔薬や抗精神病薬による阻害機構

 当初、阻害反応の実態は不明でしたが、局所麻酔薬群が環境ストレスと同様に翻訳開始とアクチン極性を共に激しく阻害する現象を見つけたことが手がかりになりました。そこで阻害因子を同定するため局所麻酔薬耐性変異株を多数単離すると、そのほとんどがフェノチアジン系抗精神病薬群にも耐性を示し、その薬剤群もまた同様の阻害反応を引き起こしました(図2)。この結果は少なくとも酵母の細胞レベルでは局所麻酔薬と抗精神病薬には類似する作用機構があることを示唆しています。酵母の阻害反応の定量的評価系を構築し種々の臨床薬剤を評価してみると、薬剤と阻害強度の関係はMeyer-Overtonの法則に従うこともわかりました。これは臨床での麻酔の作用強度は脂溶性に比例するという古典的法則ですが、麻酔薬の作用強度を決定する機構は酵母とヒトで類似していることを示しています。

 両薬剤は一見構造が異なっているように見えますが、一分子中に疎水部と陽イオン性親水部を持つ両親媒性構造が共通しています。そこで臨床作用は知られていない代表的な両親媒性化合物である陽イオン界面活性剤群でも調べてみると類似の阻害反応を引き起こし、一方、麻酔薬や抗精神病薬群には界面活性能が認められました。従って阻害反応には細かな化学構造よりも両親媒性構造が重要のようです(図3)。両親媒性構造を持つこれらの化合物は全てその界面活性能により酵母細胞膜を破壊するので、局所麻酔薬や抗精神病薬の毒性原因の一つであると考えられます。ただしこれらは酵母細胞膜を破壊しない低濃度でも阻害反応を引き起こしますから、膜破壊が阻害の原因ではありません。両親媒性構造は細胞膜脂質と類似した構造ですから、膜脂質の配向に沿って薬剤が部分的に挿入された膜状態が、環境ストレス時の膜状態に類似している可能性が考えられます。興味深いことに酵母評価系で見いだした陽イオン性直鎖アルキルの両親媒性化合物は、既存の局所麻酔薬や精神安定薬と異なり極めて単純な構造ですが、酵母で強い阻害作用を示すだけでなくラットでも強力な麻酔作用を示すので、どうも我々が酵母で解析している阻害現象は臨床作用と深い関係があるようです(図4)。




 麻酔薬や精神安定薬は臨床で使用されてから長い年月が経過していますが、実はその作用機構はいまだによくわかっていません。正確には膜作用説と特異的受容体(蛋白質)作用説の大きく二つで議論されており明確な解答が得られていないのが現状です。現時点では神経システムのない単細胞の酵母での阻害反応が麻酔や精神安定作用の何に相当するのか断定はできませんが、麻酔薬や抗精神病薬が蛋白質合成を阻害する事は動物でも報告されているので、少なくとも翻訳阻害は薬理作用と何らかの関係があるようです。我々は麻酔薬耐性・感受性変異株の原因遺伝子群の解析を通して阻害機構を遺伝子レベルで明らかにしようとしていますが、その結果は環境ストレス応答だけでなく酵母をモデル系とした麻酔薬や抗精神病薬の作用機構の解明にも繋がるのではないかと考えています。

参考文献
3) Genes Genet. Syst., 80: 325-343 (2005).
4) Biosci. Biotechnol. Biochem., 72: 2884-2894 (2008)
5) Commun. Integr. Biol., 2: 275-278 (2009)
6) Yeast, 28: 391-404 (2011)
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