研究テーマ 3: 将来の高CO2環境における植物の成長促進維持機構の探求
大気中のCO2濃度は上昇を続けており、100年後には現在の2倍の濃度になる事が予想されている。CO2は光合成の基質であるため、植物の成長は促進される事が期待されるが、その応答は種によって異なり、しばしば光合成能力が低下する事で成長促進が押さえられることが報告されている。そのため、どのような形質をもつ事が高CO2環境での持続的な成長促進につながるのかを調べるため、様々な研究が行われて来た。
これまでの高CO2応答に関する研究はほとんどが、Growth chamber, Open top chamber (OTC), Free Air CO2
Enrichment (FACE)といった人工的に作り出した高CO2環境に現在のCO2濃度に生育する植物を移して応答を見るという短期応答を観察するものであった。高CO2環境に置いた植物はその直後は光合成速度が上昇するが、その後、炭水化物の蓄積が起きて光合成能力が低下してしまう例のように、この短期応答が長期的な高CO2環境での応答であるとは限らない。そこで、当研究室を含む数グループは自然にCO2が吹き出す、高CO2 springに注目した。ここでは何世代にもわたって高CO2環境が保たれていると考えられるため、ここの植物は高CO2環境に適応している可能性が考えられるためである。
高CO2 springの植物を調べた結果、気孔が少ない、水利用効率(WUE)が高い、Jmax/Vcmax比(電子伝達能力/炭酸同化能力比)が高いという結果が得られている。この結果は、theoreticalな先行研究で、高CO2条件に適した応答と考えられている応答と一致している。高CO2環境ではCO2濃度が十分あるため、気孔コンダクタンスを下げて、葉からの水の蒸散を抑えても十分な光合成速度を保つことが出来る。これにより、気孔が少なく、WUEが高いという性質を持ったと考えられる。また、光合成速度はRuBP再生速度(J)とRuBP carboxylation速度(V)の低い方に制限されている。このとき、RuBP carboxylation速度の方がより葉内CO2濃度の影響を受けるため、高CO2条件ではVが増加し、Jが律速要因となりやすくなる。このとき、現在の大気CO2条件におけるJに関するタンパク質の量とVに関するタンパク質の量の比を変えて、Vを減らしてJを上げるように調節する事で、高CO2条件での光合成速度をより高めることが出来るというのが、theoreticalな先行研究のsuggestionであり、CO2 springの結果はこれを支持している。
私はこの将来の高CO2環境における植物の成長促進維持機構の解明に向けて、以下の点に着目して研究を行っている。
(1) 果実の高い呼吸速度がもたらす高CO2条件に葉緑体は適応しているか?
CO2 springは植物の生育に影響を与える火山性ガスが含まれ無いものを探すのが難しい。そこで、そのような特別な場所を探さなくても、植物個体内で呼吸によって高CO2条件となっている繁殖器官とくに果実に注目した。特にワタ(Gossypium hirsutum)の蒴果はその高い呼吸速度ゆえに、蒴果の周りに高CO2環境を生み出す。通常大気CO2濃度においても、蒴果を包葉が包んだ状態での細胞間隙CO2濃度は、光条件によるが500〜1300 μmol mol-1に達する。この高CO2�ツ境は少なくともワタが出現した110万年前から存在すると考えられる。そこで我々は、この高CO2環境に対するワタの包葉の適応機構は、植物の葉における将来の高CO2環境への適応機構に通じると考え、包葉は葉に比べてRuBP炭酸同化能力に対するRuBP再生能力が高くなっていると仮説した。
検証のため、ワタの包葉と葉において、気孔密度、ガス交換能力、タンパク質量等の、形態・生理学的形質を測定した。
葉に比べて、包葉は有意に低い気孔コンダクタンスを示し、水利用効率が有意に高まっていた。また、ガス交換測定およびタンパク質量解析の両方によって、包葉の方が葉よりも高いRuBP再生能力/RuBP炭酸同化能力比(Jmax/Vcmax比)を持つことが示された。
これらの結果は、先行研究の理論的予測により示された光合成の高CO2適応方法と一致しており、植物の高CO2環境への適応機構を研究する上で、ワタの包葉が、天然CO2噴出地に生息する植物などに比べ、容易に入手が可能な理想的な材料である事を示している(Hu et al. 2013 Ann Bot doi: 10.1093/aob/mct091)。
(2) シロイヌナズナエコタイプ間における高CO2応答の比較
緯度・標高の異なる世界各地から集められた、44のシロイヌナズエコタイプ間では、様々な環境への適応によって形質のばらつきが見られる。この形質のばらつきの中には、高CO2環境での成長促進に寄与する変化も存在するのでは無いかと考え、通常CO2濃度および高CO2濃度でエコタイプを生育し、成長解析を行った。当初の期待通り、シロイヌナズナエコタイプ間では相対成長速度(RGR)および相対成長速度の高CO2促進率に十分なばらつきが見られた。成長解析の結果、生理学的なパラメーター(光合成速度など)が形態的なパラメーター(葉をどれぐらい持つかなど)よりも相対成長速度のばらつきおよび相対成長速度の高CO2促進率のばらつきをよく説明していた。生理学的パラメーターの中では特に、葉窒素量当たりの炭酸同化速度(LNP: Leaf Nitrogen Productivity)が最も相対成長速度の高CO2促進率のばらつきをよく説明していた。このことは、高CO2環境での成長促進には窒素利用効率を高く保つ事が重要である事を示唆している(Oguchi et al. 2016 Oecologia
DOI: 10.1007/s00442-015-3479-z)。
LMA: leaf mass per area 葉面積あたりの重さ
LMR: leaf mass ratio 個体重あたりの葉重
SAR: specific absorption rate 根重あたりの窒素吸収速度
LNF: leaf nitrogen fraction 個体全体の窒素あたりの葉の窒素