【4/18】人類学演習・談話会『二重構造モデル再訪/Dual Structure Model Revisited』
2025.04.17
日時:4月18日(金) 16:50-18:35
場所:理学部2号館201号室
演者:太田博樹 教授(ゲノム人類学研究室)
演題:二重構造モデル再訪/Dual Structure Model Revisited
要旨
埴原和郎の『日本人起源に関する二重構造モデル』は1991年に出版され、今日でも日本列島のヒト集団を議論する際のフレームワークとなっている。明治以来、日本人の起源に関する学説は『交替説or 置換説』『変形説 or 小進化説』『混血説』の3つに大別される。縄文人と大陸の近隣集団との交雑によって日本列島のヒト集団が形成されたと考えるのが『混血説』であり、『二重構造モデル』は『混血説』の1つである。埴原の二重構造モデルでは、縄文人は日本列島の後期旧石器時代の人々の直接の子孫である可能性が高く、日本列島の後期旧石器時代の人々の祖先は3万年以上前からスンダランドに住んでいた“原アジア人”である一方、渡来系弥生人は寒冷適応をとげた北アジア系統に属し、この渡来は古墳時代まで続いた、とした。
アラン・C・ウイルソンらが、mtDNAの制限酵素サイト多型データにもとづく『イブ仮説』として知られる論文を出版したのが1987年で、スヴァンテ・ペーボらが、ネアンデルタール人のmtDNA超可変領域の塩基配列約380bpを決定した論文を出版したのが1997年であったことを思い起こすと、埴原の『二重構造モデル』は現生人類のアフリカ単一起源が決定的になる以前に提唱された仮説と言える。おそらくこのため、当時の埴原は『アフリカ単一起源説』と『多地域連続進化説』のどちらが正しいか、あまり明確に言及していない。つまり二重構造モデルは、サピエンスの進化に関するシナリオが曖昧なまま構築され、その後の研究の叩き台になった。
ゲノム解析技術が発展し、ここ30年あまりで二重構造モデルを取り巻く状況は大きく変化した。ゲノム配列データ量の爆発的増大により、高い精度での解析が可能になり、日本列島のヒト集団についても例外ではない。その反面、『二重構造モデル』の本来の問題意識は、ほとんど忘れられてしまっている。二重の意味が一人歩きし、日本列島人に関する三重構造を主張する論文も複数出版されている。今回は、埴原の二重構造モデルが提唱するまでの日本の人類学での議論を再確認し、主に学史的立場から最近の日本列島ヒト集団のゲノム解析による議論を検証する。
<今度の予定>
4月 25日 修士中間発表のため休講
5月 2日 未定
9日 Kiriakos Chatzipentidis(井原)
16日 安陪 大治郎 先生(荻原)