大隅良典先生のノーベル生理学医学賞2016受賞に寄せて

大隅良典先生の2016年のノーベル生理学医学賞受賞にあたり、以下に、大隅先生が本専攻の前身の一つである植物学教室に所属されていた頃より特に親交の深い中野明彦教授からのメッセージを掲載します。

大隅良典先生のノーベル生理学医学賞2016受賞に寄せて

 大隅先生のノーベル賞受賞を心から祝福いたします。理学部教員としての先輩でもありますので,理学部らしく大隅さんと呼ばせてください。

 大隅さんのノーベル賞受賞理由がオートファジーの分子機構の解明にあることは,もういたるところで詳しく説明されているでしょうから,ここに繰り返すことはしません。基生研時代の華々しい研究成果がよく知られていますが,実はこの研究のルーツは東大時代にあります。

 大隅さんは,1977年,3年間のロックフェラー大学留学を終えて帰国し,本生物科学専攻の前身の一つである植物学教室の生体制御研究室,安楽泰宏教授の研究室の助手に着任しました。安楽研では当時,主に大腸菌を材料に用いて能動輸送,電子伝達系などの研究が進められていましたが,大隅さんは,酵母を材料に,液胞膜の輸送系についての研究を始めることになりました。液胞型プロトンポンプV-ATPaseの発見(Ohsumi and Anraku, J. Biol. Chem. 1981)は,これも金字塔と言うべききわめて大きな業績です。1986年に講師に昇任し,1988年に教養学部に独立助教授として移って研究室を持つことになりますが,その後任として,国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)から安楽研の講師に着任することになったのが,他でもない私でした。大隅さんとは共に酵母のオルガネラ研究者として親しくしていましたから,本郷三丁目近くの居酒屋で「ぼくに安楽さんのスタッフが務まるでしょうか?」と相談し,「中野君なら大丈夫だよ!」と安請け合いされたことを昨日のことのように覚えています。確かに,私は安楽さんの定年退職まで無事に(笑)勤め上げ,理研の主任研究員として独立し,大隅研とは,駒場時代も基生研に移ってからも,親しくおつき合いをさせてもらってきました。

 理学部2号館で酵母の液胞の研究を10年あまり続け,かつては細胞内のゴミ溜めとさえ呼ばれていたこのオルガネラが,活発な膜輸送を通じて細胞質の恒常性維持に重要な役割を果たしていることを示した大隅さんは,駒場で独立したのを契機に,また新しいことを始めようと考えました。その一つが,液胞が細胞内の分解を担っていることを示し,その分子機構に迫ろう,ということでした。大隅さんは,液胞のタンパク質分解酵素をほぼ完全に欠損した多重変異体を手に入れ,飢餓状態で何が起こるか,顕微鏡で観察しているうちに,液胞内に小さな顆粒がどんどん蓄積し,激しく動き回っていることを発見したのです。これが,歴史に刻まれるべき酵母オートファジーの発見です。大隅さんが興奮気味に2号館にやってきて,どう思う?って写真を見せてくれました。「何ですか!これは? すごくおもしろいじゃないですか!」と私もわくわくしたのを覚えています。

 その後,馬場さんの美しい電顕写真の助けを得て,この仕事の第1報をJ. Cell Biol.に発表したこと(1992)。塚田さんという大学院生が,ただひたすら顕微鏡を覗き続けてこの現象が起こらない突然変異株apg1の単離に成功し,続いて続々と変異株が取れるようになって分子機構の解明の端緒になったこと。一方,クローニングしてもクローニングしても,取れてくるのは何ともホモロジーが見つからない全く未知の遺伝子ばかりで,ぼくほど運の悪い男はいない(大隅),とずっと愚痴っていた時代。基生研の教授になって,助教授に吉森君に来てもらって動物細胞のオートファジーの仕事も始めようと思うけど,どう思う?と相談されたこと(もちろん全面的に賛成)。どんどんメンバーが増え,活気が増していった中で,水島さんがAtg12を中心とするユビキチン様結合システムを発見して,また一気に国際的な注目を得たこと。等々… いずれも,身近なこととしてリアルタイムにその興奮を感じることができた私も幸せ者だったのだと思います。

 もうずいぶん前になりますが,吉森さんに「中野先生,大隅先生がノーベル賞取っちゃったりしたらどうします?」って聞かれたことがあります。「確かにあり得るね〜」とその時は軽く流しましたが,大隅さんが切り拓いた分野の大きさ,そして誰もが認める限りなく高いオリジナリティ,それを考えると,もらっても全然おかしくないと私も思うようになりました。1990年以前には,年間たかだか10報程度しかなかったオートファジーの論文が,いまや年間2000報を超える大きな分野になっています。酵母のオートファジーに関わる分子装置が,高等動植物にもよく保存されていることがわかり,一気に研究者の興味が拡大したことも大きな要因でしょうが,大隅さんの酵母の仕事がなかったら,これだけの展開になるまでにまだまだ長い年月が必要だったでしょう。

 この数年,大隅さんはいろいろな大きな賞を次々に受賞してきました。その中で,昨年受賞した国際生物学賞は,私も選考委員として関わり,最終的には選考委員を代表して,天皇皇后両陛下に受賞者の研究内容を御進講するという栄誉に浴することができました。両陛下が大変興味を持って聞いてくださり,予定の時間を大幅に超えて質問攻めにしてくださったのは,何ともうれしいことでした。冒頭の写真は,その受賞式当日(2015/12/7)のもので,左からVivek Malhotra(CRG, Barcelona),大隅さん,中野です。もう次はノーベル賞しかないね,と大勢の人間が思っていましたし,時間の問題と確信していましたが,やはりこうして受賞することが決まるとうれしいものです。

 これまでにも,大隅さんが大きな賞を取るたびに,うちの専攻出身なんだから,お祝い記事を書いてはどうか,と言われてきましたが,オートファジー研究はうちを離れてから始めたものだから,出しゃばるのはやめておきましょう,と答えてきました。でも,ノーベル賞まで取っちゃったんだから,少しくらい書いてもいいかな,と書き始めて,結局長いエッセイになってしまいました。ルーツが東大にあるというのは間違いのないことで,酵母液胞を使って新しい研究を始める構想は,きっとこの2号館にいるときから温めていたに違いないと思い,その喜びを共有することを許してもらいたいと思っています。弟子でもないし,共同研究をしたこともなかった大隅さん(私も)を研究室のスタッフに採用した安楽さんも偉大だったと思うし,純粋な好奇心に基づいた基礎研究を自由に進めることができた植物学教室の雰囲気も,きっと大隅さんの研究スタンスのどこかに根づいているんだろうと勝手に言わせてもらって,筆を置くことにします。

2016/10/5
中野明彦