第1031回生物科学セミナー

小脳シナプス伝達の長期抑圧は運動学習のメカニズムではない?

山口 和彦(理化学研究所 脳科学総合研究センター)

2015年06月17日(水)    16:50-18:35  理学部2号館 講堂   

記憶や学習の基礎に、神経細胞間の信号伝達部位であるシナプスの強度の変化(シナプス可塑性)があると考えられています。意識に上らない手続き記憶である運動学習において、小脳が重要な役割を果たしています。小脳の神経回路を見て、マーは「小脳皮質は学習をする装置で、誤差信号を用いて正しい運動制御を学習する」という仮説を提出しました。伊藤は「誤った運動に関与していたシナプスの伝達効率が長期間抑圧される」と実験に基づき提唱しました。これを“マー・アルブス・伊藤 仮説”と呼びます。
シナプス伝達の長期抑圧(LTD)の分子機構として、誤差信号等により、細胞内Ca2+濃度が大きく上昇しPKCが活性化されることにより、グルタミン酸受容体のあるサブタイプのC末端部がリン酸化され、足場蛋白質から解離することで、シナプス膜から脱安定化され、エンドサイトーシスにより、内在化される、と考えられてきました。しかし、実験に基づいた定量的な検討はなされておらず、安定化された受容体の比率、脱安定化の割合、エンドサイトーシスの反応速度等、全く不明でした。我々はケージ化阻害ペプチドやトラフィッキング阻害薬を用い、受容体エンドサイトーシスの速度定数をはじめて測定することに成功し、実験データをもとに、受容体トラフィッキングのカイネティックモデルを作成し、シナプス可塑性におけるキネティック パラメータの変化を統合的に検討しました。その結果、受容体脱安定化以外のメカニズムがシナプス伝達長期抑圧の基礎にある、という結論に達しました。
  一方、グルタミン酸受容体C末のPKCによるリン酸化が阻害される突然変異などは、シナプス伝達長期抑制(LTD)は阻害されるのに、運動学習は正常である、と近年(2011)報告され、「LTDと運動学習は無関係である」と主張されるようになりました。しかし、我々のモデルはこの突然変異動物においてもLTDが生じることを予測します。そこで我々は同じ突然変異マウスの譲渡を受け、様々な刺激パラメタを用いることにより、これらの突然変異動物において、シナプス伝達長期抑圧があるか否かを再検討しました。この結果をもとに、“マー・アルブス・伊藤仮説”が否定されたのか否かについて考察したいと思います。
参考文献
Ito, Yamaguchi, Nagao, Yamazaki (2014) Long-term depression as a model of cerebellar plasticity. Prog.in Brain Res.210:1-29.