人類学演習Ⅳ/人類学セミナー4

日本に来た最初のイギリス人 ウイリアム・アダムズ

水野 文月 先生(東邦大学 医学部 法医学講座)

2020年01月10日(金)    16:50-18:35  理学部2号館 201号室   

日本に到着した初めてのオランダ商船・リーフデ号が1600年4月19日(慶長5年3月16日)に現在の大分県に漂着。最終的な生存者は14人であったが、その中には徳川家康の信頼を得て江戸幕府の外交顧問になったヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスがいた。ヤン・ヨーステンは江戸城の内堀沿いに屋敷を構えた。屋敷のあった場所は現在の千代田区、訛った日本名「耶楊子」(やようす)と呼ばれるようになり、これがのちに「八代洲」(やよす)となり、「八重洲」(やえす)になったと言われている。一方、ウィリアム・アダムスは250石取りの旗本に取り立てられ、帯刀を許されただけでなく、相模国に領地も与えられた。また、三浦按針の名も与えられた(”按針”とはウィリアム・アダムスの職業である水先案内人を意味し、"三浦"は領地の名前に由来する)。日本の武士となった最初のイギリス人(イングランド人)ウィリアム・アダムスは、1620年5月16日(元和6年4月24日)に平戸で死去した。
 今回、三浦按針墓と伝えられてきた平戸市の公園内の墓地から出土した人骨をDNA分析する機会をいただいた。近世の人骨であるにもかかわらず、保存状態は極めて悪かった。この為、得られたDNA情報は僅かな配列情報であったが、その出自に関する知見を部分的ながら得ることに成功した。しかし、イギリス人とオランダ人の10名が1590年から1620年の間に平戸で死亡しており、三浦按針であると断定するには至らなかった。このチャレンジをご紹介したい。

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<今後の予定>
 2月 21日 Dr. Karl Sigmund(臨時開催)