第1132回生物科学セミナー

匂い情報のコーディングメカニズム

今井 猛 教授(九州大学医学研究院)

2017年05月31日(水)    16:50-18:35  理学部2号館 講堂   

脳は感覚器を介して外界の情報を受容し、プロセスし、最終的に行動という形でアウトプットする装置である。脳は無数の神経細胞からなるネットワークとして存在しており、そのネットワーク動態と回路基盤を理解することは、現代神経科学における大きな課題である。
 脳が感覚受容を行う際には、ノイズと擾乱に満ちた環境中の刺激の中から特定の情報だけを取り出さなければならない。我々はマウスにおいて、嗅覚1次中枢である嗅球の僧帽細胞に着目し、2光子カルシウムイメージング法を行うことで匂い情報のコーディングメカニズムの解明に取り組んだ。末梢の多くの嗅神経細胞は、匂い情報のみならず、機械刺激をも受容することが知られている。機械刺激は吸気(スニッフィングと呼ばれる)によって生み出されており、この結果、嗅覚1次中枢である嗅球には、呼吸サイクルと同期した神経活動オシレーションが作り出される。しかし、嗅神経細胞が機械刺激と匂い刺激のどちらによっても活性化してしまうのだとすると、嗅覚系は機械刺激と匂い刺激をどのように区別しているのであろうか?我々は、嗅球僧帽細胞においては、発火頻度ではなく、発火タイミング(発火位相)が両者の識別において重要であることを見いだした。発火タイミングは、匂い刺激によって匂いの種類に固有な変化を示す一方で、機械刺激強度を上げても変化することはなかった。また、匂いの濃度を変化させると発火頻度が大きく変化するのに対し、発火タイミングは安定的に保持されていた。これらの結果は、発火のタイミングが匂いの「種類」の情報をコードしていることを意味している。一方で、リズミックな機械刺激をなくしてしまうと、匂いの種類に固有な発火タイミングを刻むことができなくなることから、機械刺激は匂いを時間表現するためのペースメーカーとしての役割があることが明らかになった。従って、嗅球はただ単に末梢の嗅神経細胞を僧帽細胞にリレーするための装置ではなく、ノイズや擾乱に満ちた末梢入力から匂いの種類の情報のみを時間的パターンへと変換する、極めて精緻な情報処理を行っていることが明らかになった。
 我々の次なる目標は、こうした複雑な演算の回路基盤を明らかにすることである。このために、我々は光学顕微鏡を用いて神経回路構造を明らかにするための様々な手法の開発に取り組んでおり、それらについても紹介したい。

参考文献
Ke et al., (2016) Super-resolution mapping of neuronal circuitry with an index optimized clearing agent. Cell Reports. 14:2718-2732.
Ke, Fujimoto, & Imai. (2013) SeeDB: a simple and morphology-preserving optical clearing agent for neuronal circuit reconstruction. Nat Neurosci 16, 1154-1161.