人類学演習/人類学セミナーⅠ・Ⅱ(人類学談話会)

ヒト白血球抗原 HLA 遺伝子の分子進化学的研究:HLA-B*73対立遺伝子は旧人類によってもたらされたのか!?

安河内 彦輝 先生(三重大学 先端科学研究支援センター)

2016年11月11日(金)    16:50-18:35  理学部2号館 323号室   

近年のシークエンス技術の発達で、ヒトの全ゲノム配列の解読が、従来に比べて格段に安価で早くできるようになった。そしてここ数年で、現代人のみならず、旧人類のゲノムワイドなDNA配列の解読も行われ、旧人類ゲノムの一部が現代人にも観察されることがわかった。これを機に、adaptive introgressionという概念が定着するようになった。これは、現代人の祖先集団がアフリカを出たのち、一部の旧人類と交雑したことにより、アフリカ以外の環境にも適応できるようになったというものである。そして2011年、外来性抗原を認識するヒト白血球抗原(HLA)の対立遺伝子(アリル)の一部が、このadaptive introgressionにより一部の現代人集団に伝播したとする研究がScienceに報告された。特に、HLA-B*73アリルは、現代人で観察される他のHLA-Bアリルの塩基配列とは大きく異なり、さらに旧人類デニソワ人との交雑が起きたとされる西アジアで頻度が高いことから、デニソワ人との交雑で現代人にもたらされたと推定された。ところがこのHLA-B*73は、現代人が旧人類との交雑により獲得したとみなされてきたこれまでの判断基準を満たしていなかった。そこで本研究では、HLA-B*73を含め、旧人類との交雑で獲得したと推定されたその他のHLAクラスIアリル(もしくはハプロタイプ)が、実際には現代人の系統で維持されてきた可能性について検討した。結論からいうと、HLA遺伝子領域に交雑を支持する根拠は示されなかった。まず、Allele Frequency Net Databaseに従うと、HLA-B*73アリルは西アジアで頻度が高いというわけではなかった。HLA-B*73アリルは旧人類で観察されているわけではなく、交雑によってこのアリルを獲得したとする仮説の信頼性はより低くなる。また、HLA-B*73アリル系統(MHC-BII系統)とその他のHLA-Bアリル系統(MHC-BI系統)との遺伝距離は、HLA-DRB1遺伝子の2つのアリル系統間の遺伝距離とほぼ同じであった。さらに、HLA-B*73と同じMHC-BIIアリル系統はチンパンジーにも観察されており、現代人だけMHC-BIIアリル系統が失われた(旧人類との共通祖先分岐後に現代人だけでMHC-BIIアリル系統が失われ、交雑により再導入された)とされる根拠が見当たらなかった。その他にも、adaptive introgressionでなくとも説明できる論点がいくつか挙げられ、HLA-B*73アリルを含むその他HLAアリルは、現代人で長い間維持されてきたと結論付けられる。